オランダっていうとチューリップや風車、あとは江戸時代の貿易なんかが思い浮かびますが、
じゃあ、オランダの歴史を教えて!
と言われたら意外と答えられないんですよね。
日本だとあんまり小国の歴史って教わらないんですが、
実はこの国、世界史上の超重要キャラなのです!
世界で経済覇権をとった国は人類史上たったの3国。
イギリス、アメリカ、……….そしてオランダ。
オランダって九州くらいの面積しかないので、
この並びにオランダがいるのって一見すると違和感しかないですね。
今回はそんな隠れ主人公オランダの英雄について語っていきたいと思います。
因みに、オランダの正式名称はネーデルラントなのですが、日本ではなじみがないので以後オランダと呼ぶことにします。
弾圧するスペイン、抵抗するオランダ
時は16世紀、サンピエトロ大聖堂を作りたいローマ教皇が売り始めた免罪符(金で買えばどんな罪もチャラになる券)に対してルターが猛抗議をしていた時代。
宗教改革の波はオランダにも波及していた……
当時のオランダはなんやかんや(ヨーロッパ特有の複雑な婚姻関係)でスペイン帝国の領土となっていたんですが、オランダでは次第にプロテスタント(カトリックに抗議する派)が増えていました。
この状況を忸怩たる思いで見ていたのが、カトリック信者のスペイン王フェリペ2世でした。
「俺の領土でカトリック以外が信仰されてるとかありえない!」
そこで、フェリペ2世は異端はびこるオランダに刺客を送り込みます。
その刺客の名は、鉄の公爵フェルナンド・アルバレス・デ・トレド
いかにもヤバそうな2つ名のこの人物は、名前の通りオランダで軍による恐怖政治を展開し、オランダの有力貴族を含む8000人もの犠牲者を出します
民衆の間では恐怖・怒り・憎悪が渦巻き、スペインに対する不満が急激に高まっていく……
そんな情勢下、とある一人の貴族が立ち上がります。
それが今回の主人公、オラニエ公ウィレム1世です!
彼は元々スペイン王に仕えていたのですが、信仰には寛容であり、プロテスタント弾圧に反対していました。
それが災いして彼の財産は没収され、長男をスペインに連れ去られてしまいます。
これに憤ったウィレムは挙兵、1568年にブラバント州に攻め込み、
長い長い闘争、80年戦争が始まります。
海賊 VS 帝国 ウィレム1世の反転攻勢!
さて、戦争は始まったものの
しかし、当時のスペイン帝国は世界最強!
陽の沈まない帝国と呼ばれ世界中に領土を保有していました。
ウィレムもこれには流石に歯が立たず、戦いに敗北しフランスに亡命することになります。
それでも民衆の抵抗は終わりません。
陸では勝てないと悟った人たちが、今度は海賊になってスペインの船を襲い始めたのです。
これを好機と見たウィレムは彼らに特許状を与えます。
つまり、ウィレム1世公認の海賊というわけです。
因みにこの海賊は通称 海乞食 と呼ばれているのですが、なぜこんな名前なのでしょうか?
その由来は、スペイン側がこの反乱者たちを乞食と罵っていたことにあります。
乞食と蔑まれた彼らは、逆にその乞食という名称に誇りを持ち、自ら乞食と名乗り始めたのでした。
1572年、海乞食がブリーレという港町を占領して拠点としたのを皮切りに、次々と海乞食の拠点となる都市が増えていきます。
同年、ホラント州(オランダの語源)とゼーラント州は議会を開きウィレム1世を総督に任命。
更にウィレムの猛反撃によって、ヘルダーラント州・フリースラント州・オーファーアイセル州など多数の都市をスペイン軍から解放していきます。
中でも有名な戦いがライデン包囲戦です。
鉄の公爵率いるスペイン軍はライデンという都市を包囲していたのですが、熾烈極まるこの戦いで市民は飢えに苦しんでいました。
包囲は長く続き、市内の食料も限界を迎えつつある状況を打開すべく、ウィレムは大胆な奇策を使います。
なんと、意図的に堤防を決壊させて洪水を起こしたのです!
一か八かの大博打でしたが、作戦は大成功。
街は浸水し、たまらずスペイン軍は撤退します。
しかも、辺り一帯が水で満たされたことで海乞食たちが船で救援に来れたのです。
まさしく陸を駆ける船!
この解放を記念してライデン大学が建てられます。
現代のライデン大学は世界屈指の名門校でして王室関係者を含め数多くの著名人を輩出しています。
何気にヨーロッパ最古級に伝統のある大学だったりします。
そんなこんなでスペイン軍を撃破していき反撃に成功したオランダ。
流石にスペインも疲弊してきて、1576年、ヘントの和約が結ばれスペイン軍は撤退します。
これによって、これからは平和が訪れるのだ……とは残念ながらなりませんでした。
敵がいなくなれば味方同士で争い始めるのが世の常。
そして、悲劇は訪れる……
分裂・混乱・英雄の暗殺
見事スペインを追い払ったオランダですが、
なんと、ネーデルラント地域(オランダの領土)の北と南で分裂してしまったのです。
一体どういうことか?
理由は宗教的違いにあります。
ネーデルラントの北はプロテスタント(カルヴァン派)、南はカトリックが信仰されており、スペインと戦ってた時はスペイン憎しで団結していたのですが、スペイン軍を撤退させると宗教的な対立が表面化してきます。
更にスペイン側の分断工作も相まって、
北はプロテスタントのユトレヒト同盟、南はカトリックのアラス同盟となり、今後この2つは異なる道を歩むこととなります。
ユトレヒト同盟は現在のオランダ、アラス同盟は現在のベルギーの原型となっていますね。
さて、ではウィレム1世はどちらについたかというと、プロテスタント側につきました。
彼自身はカトリックとの共存を望んでいたようなのですが、宗教の確執は深く、プロテスタント側のいくつかの州もカトリックを認めない方針だったため、望みはかないませんでした。
この南北分裂によってヘントの和約はもろくも崩れ去り、まだまだ戦争は続くこととなります。
しかし、ここで困ったのがユトレヒト同盟です。
スペインを撤退させたはいいものの、南北に分裂してしまい、スペインもまたいつ攻めてくるか分かりません。
そこでフランスに後ろ盾になってもらおうとフランス王の弟であるアンジュー公フランソワを君主として迎え入れようと画策します。
ですが、君主とはいえ自律性の強いオランダでは様々な制約が課されたため、うまくいかずすぐにフランソワは帰国してしまいます。
しかも、そうこうしてるうちにスペインが再び攻めてきて大ピンチ!
オランダの人々はウィレムにこそ自分たちの君主になってほしいと言い始めます。
ところが、ウィレムは当初、自分が君主となることを固辞していました。
それでも人々からの熱望は止まず、ウィレムも君主になることを考え始めた時、悲劇が起こります。
1584年7月10日、ウィレムのいるデルフトという都市で銃声が鳴り響く……
ウィレムは暗殺されたのです。
犯人はフェリペ2世に心酔するカトリック信者でした。
カトリックとプロテスタントの共存を目指し、スペインと果敢に戦った彼でしたが、皮肉なことにその宗教的対立によって殺されたのです。
享年51歳という若さでした。
彼の遺体はデルフトの教会に埋葬され、ここは現在でもオランダ王室の墓所となっているそうです。
指導者としてスペイン帝国と渡り合いオランダの基礎を作り上げた功績から今でもオランダ国民に敬愛されています。
さて、今回はあくまでウィレム1世の話なので、ここまでとしますが、オランダの戦いと覇権時代はこの後にやってきます。
続きはまた別の記事で書きますのでお楽しみに。
