【オランダ史2】5歳の子供がおじいちゃんになるまで続いた泥沼戦争

さあ、今回は前回の続き、ウィレム1世という英雄が暗殺されたところから。
一応続編でありますが、この記事単体でもお楽しみいただけます。

前回のあらすじ
オランダ「プロテスタント良きかなー」
フェリペ2世「カトリック以外認めるか!」
オランダ「じゃあ、反乱します」
フェリペ2世「我、陽の沈まない超大国ぞ。負けるわけない……」
ーーー予想に反してオランダが善戦して戦いは泥沼になり、一時休戦ーーー
オランダ「はあー、やっとこれで俺たちの時代が来……なんか南部が離反したぁっっっ!ウチの英雄も殺されてるぅっっっ!」
ーーーオランダ大ピンチ!ーーー

雑なあらすじから始まる物語、オランダは果たして生き残ることができるのか!
次回:オランダ 死す

成り行きで出来た連邦共和制

ウィレム1世の訃報がオランダ全土に響き渡り、ユトレヒト同盟に動揺走る。
攻めてくるスペイン、ゴタゴタの国内、一刻の猶予もない危機的状況に慌てる政府はイングランドやフランスの王に自国の君主となってもらおうと奔走するも断られてしまう。

大国の後ろ盾は得れないまま進退窮まったオランダはついに決断を下す。
それはユトレヒト同盟規約を事実上の憲法、連邦議会を国家の主権者とする連邦共和国の樹立であった。

とまあ、このようにオランダの共和制は妥協から始まるんですよね、普通は革命や国内の権力争いから発展していくので、これはかなり珍しい共和制の樹立と言えます。
あと、この時代(16世紀後半)のヨーロッパは一部を除き君主制が主流なのでその点でも貴重ですね。
とはいっても、まだまだ富裕層と貴族による政治って側面が強いので完全な民主主義ではありませんが。

そんなこんなで出来た新体制ですが、実は共和制と言いつつ君主制的な面も持ち合わせています。
それが英雄ウィレム1世の子供の存在ですね。
彼には何人か子供がいるんですけど、その中でもマウリッツという人物が連邦議会で陸海軍の最高司令官に任命されます。

この人物もウィレムに負けず劣らず優秀でしてオランダの軍隊をどんどん改革してヨーロッパでも指折りの激ツヨ軍隊にしていくんですね。
これはマウリッツの軍制改革なんて言われていてかなり画期的だったので後の軍事大国スウェーデンやプロイセンにも影響を与えてたりします。

この改革のどこがスゴイかというと、まず常備軍を中心としたこと、これは当時のヨーロッパでよくある傭兵頼みの軍隊とは違って質が高いうえに裏切りにくいんですね。
(傭兵は金目的で動くため、必要のない略奪や暴行も日常茶飯事)

そして次に訓練を体系化して実施したこと。
これは現代だと当たり前に思えるんですけど、当時の軍隊は大抵傭兵や農民兵というような面が強いので戦争の時以外はお役御免、訓練なんてできるわけがなかったんです。
そこに定期的な訓練を施した軍質マシマシ国家が現れたらどうなるか、お分かりですね。

最後に、学問を戦争に用いて合理的な戦い方をしたこと。
この頃は貴族・傭兵の勘や伝統、個人の力量に頼ってたところがあったんですけど、マウリッツはここに数学や歴史(特に古代ローマ)を持ち込んで戦ったんです。
これによって規律の高いオランダ軍がしっかりと学問に裏打ちされた戦術のもと戦争を遂行できたんですね。

マウリッツによって近代化されたオランダ軍はその真価を戦場で発揮しスペイン軍に占領されていた地域を奪還していきます。

因みに、この間にも色々と重要な出来事が起こってまして、南部のアントウェルペン(現在はベルギーの都市)が戦場になったことで、そこからアムステルダム(現在はオランダの首都)に人が流れてきて大都市化したり、スペインと敵対してるイギリスがアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊をボコボコにしたり、フランスでカトリックとプロテスタントの内乱が起こってスペインがそこに介入したり……
語るとキリがないんですが、段々とオランダが国際的に独立国として認められて有利になっていきます。

そして遂に1609年、オランダ・スペイン間で12年間の休戦条約が結ばれます。

騒乱の国内、終わらない戦い

さて、ようやく平和を取り戻したかに見えたオランダですが、前回も見た同じパターン、敵がいなくなると味方同士で争いあう、という現象が起こります。

当時のオランダは主に3つの勢力に分かれていました。
1、厳格派(まだスペインに占領されてる南部の州を奪還してないから戦争を継続するべき派)
2、穏健派(もう戦争が長く続きすぎてるから流石に休戦しよう派)
3、中間派(どっちの意見も理解できる、多数派)

厳格派はスペイン占領下の南部州から移住してきた牧師が多く故郷を取り戻したい気持ちが強い
穏健派は戦争より商売をやりたい商人や貴族が支持
みたいな感じでかなり激しく対立していたんですね。
更に、ここにカルヴァン派の教義の論争まで持ち込まれて大紛糾。
最終的には厳格派だったマウリッツが穏健派を逮捕して粛清します。

そうして数多の犠牲の上に収まった闘争でしたが、1621年に休戦条約の効力が切れます。
再び始まる80年戦争(年数長すぎッ!)
しかも1618年にはヨーロッパ中を巻き込む30年戦争という宗教戦争も起きていまして、ここからオランダは80年戦争・30年戦争の2つの戦争に同時参加していきます。

1625年にマウリッツが死去し、異母弟のフレデリックがホラント州やゼーラント州をはじめとする5州の総督、陸軍の総司令官に任命され戦争を継続していきます。

そして、このフレデリックもマウリッツと同等かそれ以上に有能な上、ウィレム1世と似て信仰に寛容な人物だったので内側をまとめつつ対外的にも上手いこと立ち回っていきます。
とはいえ、相手は大国スペイン。
単独で対抗するのは厳しいと考え、イングランド・フランス・スウェーデン・デンマーク・ブランデンブルク・ヴェネツィア 等々と次々に条約を結びました。

そして1639年、トロンプ提督がスペイン艦隊を打ち破ったことで戦局がオランダ優位となり、このチャンスを逃すまいとオランダは講和の準備を始めます。
その数年後には和平交渉が始まり、1648年にウェストミンスター条約によってオランダの独立が決定的となったのでした。
残念ながら1年前の1647年にフレデリックはこの世を去りますが、オランダは事実上の勝利を勝ち取ります。

こうして戦争を終わらせたオランダですが、実はオランダの経済は戦争と同時並行で発展してきたんですよね。
なんせ80年と長いもんですから、その間に経済面でのイベントも多く起こっています。
なので次回は少し時間を遡りましてオランダが80年戦争中にどうやって豊かさを手にしたのか、そしてどうやって経済覇権をとったのか、オランダ黄金時代について話していきたいと思います。

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