世界文化遺産にも登録されている世界で最も美しいお墓タージ=マハル。
めっちゃ有名なので一度は名前を聞いたことがあるかもしれません。
見た目はお墓というよりもはや宮殿で、正直墓にするにはもったいない!
インドと言えばの壮麗な遺産なわけですが、
このタージ=マハルが過去にとんでもない大騒動を引き起こし、国家を滅ぼしたということはご存じでしょうか?
今回はそんな歴史上のトンデモナイしくじり伝を話そうと思います。
愛妻家もほどほどに、インド全土を巻き込んだお墓づくり
まず、このタージ=マハルがいつ建てられたかという話なんですが、時代は17世紀、インドという広大な領域を支配したムガル帝国の世。
ムガル帝国は元々モンゴルの血筋(ティムール帝国というこれまたバカでかい大帝国の子孫)を継ぐバーブルという人が建てた国で、ムガルというのはモンゴルのことだったりします。(なんとなく語感が似てる)
つまり、インドにもともとあった王朝ではなく外部から来た王朝って感じなんですね。
そんなムガル帝国の王様はイスラム教なのですが、支配されているインドの人々はヒンドゥー教です。(厳密にはまだヒンドゥー教とは呼ばれてないけど)
イスラム教が「一神教&平等」を掲げるのに対し、ヒンドゥー教は「多神教&カーストによる身分制」
当然、両者に摩擦が起きないはずはなく争いは激化。
しかしそんな時、インド史上最高の名君とも呼ばれる第3代皇帝アクバルが現れます。
アクバル帝によって異教徒への税金(ジズヤ)は廃止されヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和が進みます。
これによりムガル帝国は安定するのですが、5代目皇帝の頃にとある大事件が発生してしまうのです!
5代目のシャー=ジャハーンはその妻ムムターズ=マハルの死を悲しみ彼女のお墓を建て始めました。
そのお墓こそタージ=マハルなのですが、建造に莫大なコストがかかっていたんですね。
タージ=マハルの画像を見れば分かると思うんですけど、お墓というより豪華な宮殿で、20年以上にわたり2万人もの職人を雇い続けたそう。
これだけで済めばまだいいのですが、なんと彼はタージ=マハルの近くにもう一つ黒いタージ=マハルを建造しようとしました。(こちらは結局未遂で終わります)
この時代はムガル帝国の最盛期なので財政的にはかなり豊かなはずなのですが、軍事費の増大や国内の宗教問題、徴税の問題なども合わさり財政状態はひっ迫!
後継者争いも非常に激しく、ついにはアウラングゼーブという息子が父であるシャー=ジャハーンを裏切り、皇帝は幽閉されてしまいます。
最後は、幽閉されたまま妻の眠るタージ=マハルを見ながら日々を過ごし死んだそうです。
さて、次の皇帝となったアウラングゼーブですが、彼は私生活において質素倹約に努めます。
しかし、既に帝国は衰退期に突入していたうえ、厳格なイスラム教徒であったためにヒンドゥー教徒などの異教徒に対し厳しい政策を行い、アクバル帝により廃止されていたジズヤも復活。
各地で反乱が勃発します。
反乱や外征による軍事費の増大は膨らみ、彼の代で帝国の最大版図を実現するも財政状態は更に悪化していくこととなります。
こうしてムガル帝国が弱ってくると、各地の勢力は独立し始め、イギリス東インド会社などの海外勢力にも浸食されていき、あっという間にムガル帝国は衰退。
その後はイギリス東インド会社による支配が進んでいき、最終的にはインド大反乱を経てイギリス最大の宝石とも呼ばれる重要な植民地へとなっていくのでした。
というところで今回のしくじり伝は以上とさせていただきます。
