2026年現在、ロシアによるウクライナ侵攻は未だ停戦に至らず、開戦から4年が過ぎました。
最近では、何度も終戦しそうな雰囲気を漂わせては戦闘継続という展開が繰り返されており、終わる気配は未だありません。
また、同盟国では支援疲れや戦争によるインフレなども問題になっています。
そんな時に必ずと言っていいほど浮かぶのが、
ーーーなぜ降伏という選択肢をとらないのか?
という疑問です。
もちろん、自国の領土を渡すというのは国家としても国民感情としても許しがたいとされますが、それでもあまりに戦争が長期化すると、こういった厭戦ムードが漂うのは世の常であります。
しかしながら、この降伏や譲歩という選択肢に、とんでもない副作用があるということはあまり知られてません。
そこで、今回は第二次世界大戦の事例から、”なぜ降伏が難しいのか?”を解説していきます。
イギリスの融和政策が引き起こした悲劇
時は1938年。
ドイツはヒトラー政権下で拡張路線をとっており、3月にはオーストリアを併合。
それに勢いづけられたドイツが次の標的にしたのはチェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアという別々の国家)でした。
ヒトラーはチェコスロバキアとの国境であるズデーテンラントという地域を要求します。
この地域は歴史的にドイツ人が多いとされる土地で、民族主義の名のもと併合を狙ったのです。
緊張が高まる両国、そしてこれはヨーロッパ全体にとっての危機でもありました。
なぜなら、フランスとチェコスロバキアは同盟関係にあり、戦争が始まれば、それが世界大戦になる恐れがあったからです。(実際、第一次世界大戦はオーストリア帝国と小国セルビアの戦争から始まっている)
そこで、イギリスのチェンバレン首相は戦争回避のため、両国間の緊張を仲介しようとしました。
そのための会議というのがミュンヘン会談というやつです。
イギリス・フランス・ドイツ・イタリアの首脳が集まり、交渉が始まるのですが、チェコスロバキアの首脳は呼ばれずに列強4国だけで進む会議。
イギリスのチェンバレン首相はドイツのヒトラーに、「ズデーテンラントと引き換えにこれ以上拡張しないこと」を求めます。
その結果、ズデーテンラントはドイツに併合されることが決まり、協定書を読んだチェコスロバキアの大使はあまりの内容に涙を流したと言われています。
一応、公平性を期すためにチェンバレンに関して補足しておくと、彼がこの会談からイギリスに帰ったとき、民衆は彼を「よくぞ、戦争を回避した!」と絶賛しました。
第一次世界大戦で壮絶な被害とトラウマ(たった4年で90万ほどの死者と150万を超える負傷者を出している)を負っていたイギリスでは、なにをしてでも戦争を回避したいという心理があったんですね。
これに関してはフランスも同じで、チェコスロバキアを見捨てる決断をした大きな理由となっています。
チェンバレン首相は「これで我々の世代の安全は守られた」と考えたのですが、実際はその真逆を行く結果となっていきます。
これ以上拡張しないと約束したヒトラーでしたが、その翌年1939年にはチェコとスロバキアを分離し、傀儡化。
チェコスロバキアはここに消滅します。
本来であれば、チェコスロバキアの防衛力はそこそこ強かったのですが、ドイツに併合されたズデーテンラントに要塞線と工場が存在しており、それを奪われてしまったことで抵抗力など残されていなかったんですね。
でも、ヒトラーはまだまだ領土拡張を求めます。
リトアニアからはクライペダを獲得、そして次の標的をポーランドに定め……
ついに1939年9月1日、ドイツはポーランドに宣戦布告し、世界大戦が幕を開けます。
流石にこれにはイギリスとフランスも参戦するのですが、要塞にこもったまま動かず、戦争してるのに戦闘が起きない”まやかし戦争”と呼ばれる奇妙な状態となります。
しかし、その間にドイツはポーランドを降伏させ、デンマークやノルウェーにも侵攻し、更にはオランダやベルギー、ルクセンブルクといった国々に侵攻することでフランスの要塞を迂回し、なんと1か月でパリを陥落させるに至ったのでした。
では、話を戻しまして、ここから学べる教訓とは何でしょうか?
後世の歴史家たちはミュンヘン会談が分岐点だったといいます。
なぜなら、この会談によってヒトラーは「イギリスとフランスが弱腰で、自分の領土拡張は成功する」と確信を得てしまったからです。
歴史に IF は存在しませんが、それでもこの事例は侵略を容認してしまったことで、却ってより大きな戦争を引き起こした例として記憶されており、ドイツへの融和は失敗だったといわれています。
もちろん、だからと言って「戦争をしろ」というのは本末転倒なのですが、少なくとも相手への譲歩にはある程度リスクが潜んでいると知っておくのは重要かもしれません。
ヨーロッパにはこの会談の記憶があるからこそ、ウクライナは簡単には降伏を選べないと言えます。
もちろん、戦争が早く終わってほしいと願うのは万国共通ですが、その終わらせ方次第では、次の戦争の火種を蒔いてしまう可能性があるのです。
この事例は決して、「対話をするな」という意味ではありません。
むしろ平和を造り維持するのがいかに難しいかということを示し、文字通り不断の努力が必要なことを教えてくれているのだと私は思います。
